立川志らくによる「グッとラック」は、いかにもの態度でニュースを語っていたが、結局視聴者には受け入れられなかった。
俺の意見が正しい風の発言が視聴者の反発をかったのか、落語家らしく洒落のめしてくれれば良かったのに、正面から見当違いの意見をいわれても迷惑するばかりだったのか、結局は視聴率の魔物を突破することができなかった。
代わったのが麒麟・川島明による「ラヴィット!」 お笑いとして始めるまえからニュースに白旗を掲げた。
「ニュースなし」は爽快で小気味のいい選択だった。なにしろTBSの親会社は毎日新聞だから、勢い左翼的な発言を要求される。芸人のニュース談義ほどつまらないものはないという、原理原則をしっていたのだろう。
何度か放送を見た。若手のお笑いが二列三列に陣取ってはしゃいでいる。初テレビなのか、いちいち先輩たちが気を使ってフルと、意味もなくはしゃいで騒ぐ、騒々しいというよりうるさい。そのうるささは自分の芸のなさを増幅する五月蠅さでもある。
ラヴィットからニュースが消えたのは賛成だが、突然に割り込んでくるストレート・ニュースにも当惑する。アナウンサーという職業の命脈は尽きたの感ありで、何を伝えてくれてもむなしいのだ。
何故ニュースにニュースの専門家をつかわないのか。 そのほうが話にリアリティがわくし、なにより足腰のしっかりしたニュースになる。ネットニュースをみれば、ニュースを語る専門家はいくらでもいるということが判る。
前安倍首相がサクラを見る会に招いた人たちは、みなニュースの専門家だったし、女子アナをお招きするほどノーテンキではなかった。
ニュースなし! ワイドショウなし!
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す