ナメンナヨ!浜崎あゆみ

by

in

 1998年デビューした頃は、キャラクターの新鮮さでみていた。
 今世紀になり、レコード大賞三連覇の頃までは興味があった。
 ところが担当マネージャーと組んで、所属会社の社長を追い出し実質的な会社乗っ取りに及んだエイベックスお家騒動に及んで、ナァーンダそこいらにいるタレントと変わるとこなしと興味を失った。何処の事務所でもやっとの思いで新人を育てると、その新人は担当マネージャーと意を通じ、独立騒動をおこす。それを収めるために誰かが犠牲になる。そうした事態を避けるために事務所はたえずマネージメントに手心を加え、第二第三のスター候補をスタンバイし、ステーションのプロデューサーを篭絡してタレント側につくことを予防する。
 浜崎はオーストリア出身のモデル兼俳優と称するマニュエル・シュワルツと結婚を発表した。その発表をきいて、本当のオバカを確信した。
 ラスベガスのドライブスルー教会で挙式したというのだ。おおかたの日本人が知らないことをいいことに結婚ゴッコをしたのだ。オープンカーに乗ったまま20メートルほどのトンネルにはいる。昔の銭湯のポンチ絵のごとき天使たちの画かかれている。まあ安っぽい田舎の遊園地に怪しげな牧師がいると思えば間違いない。約20分、出口で500$カードで支払えば、法的効力のない結婚証明書をくれる。まぁ酔っ払いの座興のようなもので、この辺りには数十軒のウェデイング・チャーチが散在する。
 はじめから話題づくりのための結婚ゴッコだつたということは、あきらかだ。恐らく一年後の離婚発表まで折り込み済みだったのだろう。
 結婚生活の実態のないエア夫婦だったにもかかわらず、オーストリアでは原発禁止なのでこのたび別れることにしました、と東北大震災まで利用した離婚理由には開いた口がふさがらない。大きなサングラスの向こうに破廉恥でオバカな浜崎あゆみが見える。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ