「ナポレオン」と聞けば、「あゝ、免税店のお酒だろ」、そんなリアクションの日本人は結構多いが、フランス人にとっての「ナポレオン」は彼らの心にある歴史そのものだ。
ルーブル美術館の前に立つカルーセルの凱旋門は、革命後の英雄ナポレオンの絶頂期に作られたもの、皇帝の座につき、上官の愛人だつた貴族の未亡人ジョセフィーヌを手に入れた彼にとつて、8本のバラ色の大理石に支えられた華やかな凱旋門も決して満足のいくものではなかった。門の頂にある四頭立ての黄金の馬車も、わざわざヴェネチィア・サンマルコのそれを略奪してもってきたのだが、完成した15メートルの凱旋門に、ナポレオンはがっかりした、と伝えられている。もっと大きな門を作れというのが、彼のオプションだった。
そして1836年、高さ49.54メートル、幅44.82メートル、堂々としたエトワールの凱旋門が完成した。12本の大通りが交差した広場から幅100メートルのシャンゼリゼー通りがカルーセルの凱旋門に一直線に向かっている。その間にはマリー・アントワネットが断頭台の露と消えたのコンコルド広場、エジプト・ルクソール神殿のオベリスク…クレオパトラの針が燦然と飾られている。
この二つの凱旋門を結ぶ歴史軸の延長線上、西8キロに作られたのが新しいパリの顔、デファンスのグラン・ダルシュと呼ばれる新凱旋門だ。ポンピドウ、デスタン、ミッテランと三代の大統領の手を経て、1989年に完成した。
幾何学的な四角い門の形をした超モダンな建物で、中央の空洞にはノートルダム大聖堂がそっくり入ってしまうスケールの大きさ、高さ110メートル、幅108メートル、奥行き112メートル、門のなかはオフィスとなっていて、1000人の人が働いている。最上階ではサミットが開かれたという超高層ビルでもある。
周辺は再開発地域として、世界の一流建築家の顔見世場になっている。パリの21世紀はこの新凱旋門を中心に展開、旧市街のオスマンの作った優雅なパリとは似ても似つかない。
余の辞書に不可能はない、といったナポレオンの野望が現代のデファンスに生きている。
ナポレオンと三つの凱旋門
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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