ドライブスルーのお葬式

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ドライブスルーのお葬式
 上田の愛昇殿にドライブ・スルーの葬儀所ができた。
 テレビでは賛成、反対と姦しい。巣鴨の地蔵通りでは賛成が多かった。原宿では反対が多かった。ドラブスルーを利用してまで、葬儀に行きたいと願う老人の気持ちは置いてけぼりになって、葬儀の形式にこだわるワイドショウのコメンテーターもいた。
 歩けない老人にとっては、身内の運転するマイカーで葬儀の場にいくことが、心のやすらぎになる。
 ドライブスルーという言い方に問題がある。いかにも簡単に手間をはぶいたかの印象がするのだ。歩行困難の参列者がいると、その補助のため最低でも3人のスタッフがいる。葬儀所も経費を抑えるために人手は極力へらし、ひとつの葬儀にひとりのスタッフしかいないところもある。受付ご案内は、近親者でお願いします、という現実をまえに途方にくれる親族もあるそうだ。ましてや車椅子の介助者は到底用意できない。
 核家族時代には、人手がいちばん困難になる。身体不自由な人の心と、人手不足の現実にどう対応していくかという問題なのだ。
 数年前、ラスベガスのドライブスルーの結婚式場について書いたことがある。
 ドルが踊り、カジノが回り、アルコールと女達の都ラスベガスのドライブスルー結婚式は、どうしても安易な結婚ゴッコとも思えるが、立会人もなく親族もいないインターナショナルなプー太郎と、刹那に生きる女達には、有り難いドライブスルーの式場だった。
 二人だけの結婚式をドライブスルーで挙げ、車の後ろにカンカラを数個つけて走り去る、見送りはジャスト・マリッジのネオンの点滅というのも、もの悲しい砂漠の情景だった。
 日本の高名な歌手も、メディアにはベガスで挙式といっていたが、実はドラブスルーの簡単便利の挙式だった。
 今年も年末が近ずいて、不幸があったので欠礼という葉書がすでに50枚ちかく届いている。社友会から届くメールの訃報も、葬儀は近親者のみであげました、という文面が圧倒的に多い。死ぬほうはそれぞれの事情で死ぬので、突然の死亡通知で葬儀はいつといわれても、生きているほうが対応できない。それ故さいごの付き合いは、近親者のみで皆には迷惑はかけないというのが、90パーセント近い家族葬になる。
 家族に不見識な思い込みがいると、突然の葬式で皆に迷惑をかける。死んでまで皆に迷惑をかけるなというのが、メディアの仲間たちの意識だ。
 葬式をイベント化して売名に使うのは、石原プロやら芸能人という名の人々だけである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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