ラスベガスからトコがきた。 コートダジュールからトミーがきた。二人打ち揃って軽井沢の駅に降り立った。はたからみればとても不思議な二人組、外国人ではなく、さりとて日本人とも呼び難い。良く言えばインターナショナルな日本女性、悪く言えば国籍不明な東洋人にも見える。
戦後、初めてラスベガスに乗り込んだショーが「ホリデイ・イン・ジャパン」雪村いずみを軸としたプロダクションでショーは成功したのだが、雪村いずみがアメリカ人のステージ・ハンドと恋に堕ち、評判を落した。あの頃のベガスでは、シヨウのヒロインは絶対に舞台スタッフと道ならぬ関係になってはいけなかった。その後、第二陣として乗り込んだのが「トウキョー・ホリデー」、そこでキュートな魅力を振り撒いて踊っていたのがトコだった。
プロデューサーのりーさんは、すつかりトコの虜になり、ショーの打ち上げとともにトコと結婚した。トコは日本を棄てベガスのショービジネスに身を投じた。
トミーは少女の頃、小牧バレエ団でバレエを踊っていた。その頃僕の前に現れたのだが、その後何十年も音信不通だった。ある時クリスマスのヴェニスのホテルに電話がかかってきた。「私トモコ、覚えてますか」なぜヴェニスのホテルが分かったのか謎の電話だったが、どうやらトコが謎解きのキューピット、3か月後にはニースにショーの演出で行くと伝えると、是非うちのシャトーに来てくれ、とのこと。コートダジュールを一望に見下ろすシャトーに招かれた。
サザビーという世界最大のオークションを作ったウィルソン家の嫁になっていた。お祖父ちゃんは大英博物館の収蔵品のあらかたを寄付したというとてつもない家柄の貴族の家だ。
それからトコとトミーと僕の付き合いは始まった。日本女子の凄さはこの二人を見ていると良く解かる。自立の精神、スケールの大きさは世界をまたに少しも動ぜず過信もせず、今日も軽井沢の森で笑っている。
トコとトミー
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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