世界で26億人の人たちが、衛生的で清潔なトイレを使用できないでいる。
ビル&メリンダ・ゲイツ財団が、全人口の40%に及ぶこの人々に快適なトイレのある暮らしを提供したいと、声明を発したのは、つい最近のことだ。 ダイナマイトの実用化を現実のものとしたノーベル財団のごとく、欧米の成功した実業家は、その後の慈善行為の是非によって評価が変わってくる。
ビル・ゲイツが、途上国のトイレに眼をつけたのは、さすがと思われた。世界中のトイレ事情が激変したのは、この半世紀のこと。モンパルナスの芸術家たちの住むアパートのトイレさえ、排泄物は異常な流水のなかで飛び散り穴に吸い込まれ、かろうじて足をおく石だけが汚水にまみれて残るという乱暴な造りのトイレだったし、郊外にはボットン式トイレが多々あった。
水を大量に使う現在のシステムは、先進国においてすら早晩破綻をきたすといわれているし、アフリカの後進国では、水そのものがない。トイレのない後進国の野外排泄では、生活水が汚染され、それに起因する下痢性感染症で毎年150万人が死んでいるとさえ言われている。その数は、エイズ、マラリアによる死亡数よりも多いというから深刻だ。
ビル・ゲイツは、上下水道や電気に頼らず、排泄物や汚水を再生利用できるシステムのトイレを要求、さらに経費を一日当たり0.05ドル以下に抑えることをテーマに世界中からアイディアを募った。
太陽エネルギーを利用したカリフォルニア工科大学、バイオ炭、ミネラルから浄水を生成した英国ラフバラ大学、排泄物を消毒して浄水を回収するカナダ・トロント大学の三つが各10万ドルの賞金を獲得したが、そこに日本の大学の名前はまったく見当たらなかった。
トイレ革命のその後
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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