画面が汚くて、神戸のプロモーションにはならない。と知事にこきおろされたNHKの大河ドラマ平清盛が孤軍奮闘している。低視聴率ドラマと揶揄されながらも、デジタル時代の表現に挑んでいる。リアリティを柱にすえ、逆光とハイキーな画面で、当時サモアリナンといった演出が、ドラマの展開を支えている。いわばクロウト受けするドラマなのだ。
つい先頃、民放のロングラン時代劇「水戸黄門」が終わった。勧善懲悪のワンパターンで、わかりやすい画面づくりに励んだ結果、高齢者のための時代劇というイメージとともに滅んでいった。
かってのテレビ時代劇には、ニヒルな個性で若い視聴者をひきつけた「木枯し紋次郎」、ハードボイルドな殺しでみせた「必殺シリーズ」、徹底的にディテールにこだわった「鬼平犯科帳」、など志のある時代劇があった。それがいつの間にか水戸黄門一本になってしまったのには、それなりの理由があった。
プロデューサーの不在、脚本家の不在、俳優の不在、それらの三大不在に加えて、スポンサーもいなくなった。それには96年から実施された新しい視聴率の調査が、細分化され、世帯数から世代・性別まで数量化されたことだろう。データーをみて大口スポンサーはつぎつぎと時代劇から逃げ出した。
民衆の底辺調査に立脚するかぎり、文化メディアとしてのテレビは成立せず、広告メディアとしての効果を追及するのみで、テレビは代理店のシモベとして生きるようになった。
かくて、時代劇は豪華絢爛キレイゴトを追っかけ、同時代のエンターテイメントとしての表現を放棄してしまったのだ。
テレビ時代劇の敗北
コメント
1件のフィードバック
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水戸黄門の広告展開離失敗の理由として
もう一つ見落としてならないのは、
ジングルの変更が大きく影響していると感じてます!
今までの「あっかるぅぅい♪ナッショォナァルゥ♪」
が、「なんだかぁ♪Panasonic♪♪♪」に変わって、変化を嫌う高齢者に嫌われてしまった感がします。止めが由美かおるの入浴シーンの廃止、時代のシステムが変化しても、年金生活者には全く関係ない訳で、その辺の事情が全く気にしない、制作側の自爆としか思えません。
いったい何をリサーチしているのか?
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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