テレビ妄言文化人の総退場

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テレビ妄言文化人の総退場 テレビ妄言文化人の総退場
 来年の参議院選をまえに、テレビ画面上でそうぞうしかったキャスターが次々と退場する。
 安保法案は憲法違反だと大声をあげ、メディアとして廃案に追い込まなければならないと、もっともらしく発言していたTBSのニュース23キャスター岸井成格、同意を求められていた膳場貴子もしかたなしに賛意を表していた。
 TBSの報道は田英夫の昔から伝統的に左翼的傾向が強く、それも歴代共同通信出身者が圧倒的に多かった。トラブルで退場した後藤健次も、小沢たたきと左翼的言辞の常習犯で、共同通信出身の色彩がつよかった。
 朝日新聞の陰に隠れてあまり目立たないが、メディアのなかの共同通信出身の左翼系論客は非常に多い。
 かってモーニングバードに出ていた青木理、太田昌克、TBSではサンデーモーニングの柿崎明二、魚住昭、辺見康、浅野健一、新藤健一、田中宇、そして後藤健次といかにもニュース・セールスの共同らしく、メディアにしっかりと左翼妄言の巣を完成させていた。
 しかしなんといっても多いのは、朝日新聞出身のなんでも反対解説者たちだ。慰安婦偽報道事件以来すっかり信用をなくしたが、それでも原発反対、戦争をやりたい安保法案ぶっ潰せ、とニュース・ステーション古館伊知郎らと連携して、反安倍運動を繰り広げていた。
 処がここへきて「安保法案賛成議員を落選させる運動」をシールズ等と共に提唱するにいたって、選挙前に放って置けなくなった、というのが政府側の本音だろう。
 自己過信のかたまり古館伊知郎を画面から消し、共同通信、朝日の偏向解説者をとりあえず退場させることにより、公正な選挙になるというのが内閣府の考え方のようである。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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