チョン・ミョンフンの傲慢コンサート

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チョン・ミョンフン
 久しぶりにひどいモーツアルトを聴いた。
 チョン・ミョンフン指揮/ピアノ+東フィルのピアノ協奏曲23番イ長調だ。
 ステージに登場するなり、彼の言い訳が始まった。今日はどうも左手が調子悪い、とかなんとか言いながら始まったコンサートだったが、調子が悪かったら何故ちゃんと初めから弾けるピアニストを用意しなかったのか、軽井沢の聴衆を馬鹿にしていたとしか思えない。
 案の定、ミスタッチで途中演奏が止まった。何小節か前からやり直したが、ゲネプロではない本番演奏で、途中演奏が止まることなど東京ではまずない。
 この名前のある韓国人音楽家は、かくも尊大な態度でいつも通しているのか。桂冠指揮者の名前が泣く。
 地方文化の低さは、ひとえに批評の存在しないことだとかねがね思っているが、モーツアルトの欠片もない粗雑なこの演奏に対して、観客は拍手をおくった。楽章の間で拍手する非常識はなくなったが、その代わりに演奏の良否にかかわらず ブラボー!ブラボー!を連呼する耳と頭の悪いブラボー隊が発生したのだ。
 この日の演奏ストップのモーツアルトに対しても、足を踏み鳴らすのではなく、ブラボーを連呼した。これではご当地の聴衆がバカにされてもいたしかたない。
 開館10周年のこの日の演奏会は町民の金銭で開かれた委託事業だつたが、チョン・ミョンフンは大賀家のファミリー・コンサートと認識していたようだ。アンコールに大賀未亡人のためにといって、エリーゼのために を弾いた。  冗談もいい加減にしてほしいコンサートだった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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