チョコレート屋の陰謀と判っていても、まあいいか軽い気持ちで楽しんでしまう。
六本木で仕事をしていたころは、モデルから女優そして踊り子まで、仕事がらみと本音がらみが入り乱れて、かなりの量のチョコレートのシアワセがあった。
思わぬ相手からの高級舶来チョコには、そうか逃したのは下心だつた、という発見もあった。
軽井沢に移ってからは下心組は消滅し、友情と老人へのいたわりがチョコに化けて贈られてくる。
東京からはピエール・マルコリーニやらデメル、エリカにアルマーニといったブランドものが圧倒的に多い。どこもカカオの味や比率にこだわってつくられている。
京都からは十六五のピンクのハート型最中、長生殿のチョコ干菓子、加茂葵のヴァレンタイン豆板、加加阿の縁結日…四種のボンボン・ショコラがそれぞれの味を主張している。オレンジの香りとホワイトチョコとレモンのガナッシュによる「きゅんきゅん」、ペパーミントと紅茶風味のガナッシュ「きらきら」、チェリーとほんのりバニラの「縁結日」、苺とローズ風味のジャンドウジャ「ふわふわ」 と造り手の工夫が満載され、さらに紅白のハート型千枚漬と、お菓子の都京都にはありとあらゆるバレンタイン菓子の工夫があって、東京の舶来ものにはない楽しさと、菓子やの意地がみてとれる。
チョコのすべてを食べ尽くした後にほっこりとしたのは、ゼブラのチョコ・ポップコーン、ガラス器にもってデスクの横に置いておくと際限なく手が伸びる。適当に散らされたチョコの軽さとポップコーンの風味が食感を創りだして、糖尿の危機を救ってくれる。
懐かしの西荻窪こけしやのチョコ・オレンジには、思わず涙した。
チョコレートが攻めてきた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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