チャールズ皇太子とダッチーの紅茶

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チャールズ皇太子とダッチーの紅茶
 80年いろいろな紅茶を飲んできた。
 戦後十年は黄色い大きな日東紅茶の缶が、どこの喫茶店の棚にも置いてあった。みんな食料不足に悩み、生きるのに紅茶は不要な飲みものだったのだろう。
 いつのころからかトワイニングが登場した。初めてダージリンだのアールグレイだのと、香りと味に違いがあることを学んだ。
 初めてのパリで、紅茶専門のサロン・ド・テと、コーヒーも紅茶も出すカフェがあることを知った。マドレーヌ寺院のある広場には、フレーバー・ティーで名を高めた「フォション」があった。カフェではほとんどが首つりの紅茶パックだったが、サロン・ド・テでは茶葉の入ったティポットと熱い湯のポット、そして温められたカップがでてきた。店によっては小さなチョコレートが添えられてくる店もあった。
 ロンドンへ劇場巡りに行った時、紅茶ブランドの多さに驚いた。なかには愛好者の家まで、馬車で届けてくれるエリートブランドの紅茶屋さんがあるときき、イギリス人の紅茶に対するこだわりを知らしめられた。ニューカッスルにある「リントンズ」だつた。舌音痴と言われているイギリス人に何故紅茶の味だけ判るのか、とても不思議だった。
 パリのホテル・スクリーブにあるサロン・ド・テでは、「チャ・ユアン」の紅茶がでた。オーダーした紅茶の種類によってサーブするうつわが異なる。古い中国風なポットからモダンなガラス器まで、今日のオーダーにはどんなうつわがでるのか、楽しくサロン通いが出来た。ユアンはリヨンにある茶房で、マダムは世界紅茶協会の会長を務め、世界中の紅茶農園を知りつくしている人である、ときいた。色違いの缶には漢字の「茶」とそのしたにちいさくCHA YUANとあるだけで、うちの事務所ではコレクション・アイテムになっている。
 イギリス貴族のトムとトミーが送ってくれる紅茶が「DUCHY」、チャールス皇太子が自身所有するグロスター・ジャーの農園を10年かけて有機農場化し、そこで1992年から製品化している紅茶だ。紅茶のキレ味がよく、深みがあって、いくら飲んでも飽きない。
 あのダイアナ妃は農園仕事が嫌いで、いつもひとりでロンドンやパリに出掛け、浮名を流していた。
 ダッチーの紅茶を口にするたびに、ダイアナの最後に想いが飛び、チャールス皇太子の孤独に惹かれる。


コメント

1件のフィードバック

  1. 50年経ってセイロンが好きらしいと気が付きました。
    ミルクティー一辺倒です。
    昔、友人になったリバプール出身のモデル姉妹に
    社交ダンスの先生のブラックプール土産の紅茶を持って行って、「本物のイングリッシュティーを飲ませて欲しい!」
    とお願いしたら、「水が違うから無理!」との回答でした。
    当時は紅茶にさほど興味がなく、今思うと結構なお値段の茶葉だったようで惜しく思っています(笑

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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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