チェリー・ブロッサム・ダンス

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チェリー・ブロッサム・ダンス
 143回続いている京都祇園甲部の「都をどり」が間もなく始まる。四月一日から三十日まで、一日四回 計百二十回公演である。毎年この公演を百五十年近く続けてきた祇園甲部のお師匠さん方と芸舞妓、そしてお茶屋のおかあさん方の努力は凄い。
 さて今年のタイトルは「花都琳派染模様」(ハナノミヤコリンパソメモヨウ)、光琳、光悦に始まる琳派の染模様とあるからには、さぞ衣裳は美しいことだろう。褒められたい日本人の心情がにじんでいる。
 いつものように御所の銀襖を背景に両花道から始まる。「都をどりはよーいやさあー」の掛け声とともに都の春の訪れで始まる。そして舞台は今年の恵方「上賀茂社梅折枝」に繋がる。
 大鳥居のまえの神馬堂の焼きもちは絶品、昔はおばあちゃんひとりで焼いていて、焼き上がりを待って江戸に持ち帰った。すぐ東側の成田のすぐきも、深い味わいのある漬物だ。
 中挾みといわれる「別踊」の第一は、「西王母三千歳桃」西王母は西の崑崙山にすむ女神のなかのボス、道教の神、玉皇大帝の妻である。前漢の武帝が長寿をねがっていたところに西王母が降臨し、三千年に一度咲く不老長寿の桃を与えたという故事の舞台化、長寿社会にむけての作品だ。
 別踊の第二は「三河八幡燕子花」、第三が「源頼光土蜘蛛討」御伽草子にある害虫駆除人、頼光の土蜘蛛退治をドラマティックに見せる。
 秋の紅葉狩りは、鷹ケ峯の光悦寺を舞台に展開する。
 そして四季を巡る踊りの冬は、「新口村雪道行」人形浄瑠璃から歌舞伎になった梅川忠兵衛のものがたり。
江戸歌舞伎では春雨だが、上方歌舞伎では雪景色のなか、飛脚やの主人忠兵衛と遊女梅川の恋模様が描かれる。そしてフィナーレは、50種の桜の古木のある「平野社桜花絵巻」として華やかに舞納める。外国人からチェリー・ブロッサム・ダンスと呼ばれる所以の景色だ。 今年の都をどりの荒筋である。
 點茶を待つ間の祇園甲部歌舞練場の中庭には、昔の劇場の様式が見てとれる。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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