ダークダックスとは、いろいろな思い出がある。
リードテナーの佐々木行さん通称マンガ、トップテナーの高見沢宏さん通称パクは、何年かまえに旅立たれたが、先頃通称ゲタ喜早哲さんの訃報に接した。1930年生まれだから一年先輩である。
ダークダックスは、慶応義塾大学のワグネルソサェティという合唱団出身の4人組だった。
甘いハーモニーで一世を風靡した。民放テレビのスタートと軌をいつにして人気コーラスとなったので、テレビの始まりのころ、随分沢山の仕事をともにした。
週一の音楽番組に一年以上出演してもらったこともある。いまでは男性コーラスといえばエクザイルだが、あの頃は上品なダークダックスが圧倒的な人気だった。ダークはロシヤ民謡を中心に、雪山賛歌、北上夜曲、山男の歌、銀色の道と数々のヒットをとばした。
早稲田出身のボニージャックスはジャズを中心にアメリカ系を歌い、ダークダックスはヨーロッパ・ロシア系のサウンドが得意だった。
ある時録音中に、ゲタがトイレに立ったことがあった。調子がわるかったのかなかなかに戻ってこない。
しびれを切らし、ゲタなしでリハーサルをした。マンガとパクとゾウさんの3人のハーモニーの、なんと美しいことか…ミクサーもビックリした。ゲタなしの3人のコーラスはこの世のものと思えないほど綺麗だった。
ゲタは、ダークダックスのまとめ役で、ゾウさんはおっとりしていたし、バクさんも素直で、しいて意見のあるのはマンガさんぐらいだったので、番組の演出はいつもゲタさんとの調整で進行していた。そのゲタさんがいなければ、こんなにも美しいハーモニーになるという現実に遭遇しスタッフは調整室で議論となった。三人なら動きも楽につけれる。4人というのは絵をつくるうえで大変に不都合なのだ。
… ふと気がつくとトイレから戻ったゲタが後ろに立っていた。ゲタは苦笑いをして、俺は余分なんだよ、とつぶやいた思い出もある。
番組のテーマを彼らの不得手とするミュージカル特集などとりあげても、いつもきっちりとマスターしてくる勤勉さをもっていたのも、多分ゲタがいたからだろう、と後年気が付いた。
それもこれもみな一番声のわるいゲタさんがやっていたのだから、人生の巡り合わせは不思議だ。
ダークダックス、ゲタさんの役割
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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