ダリダのおっぱいに触ると幸せになれる。

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 「ダリダのおっぱいに触ると幸せになれる」という都市伝説がパリにある。
 したがってモンマルトルの丘のうえにあるダリダの胸像の胸は、ピカピカに光っている。善光寺おびんずる様の禿げ頭を思い出すほどの光り方、シアワセを求めてパリジャン、パリジェンヌが、ダリダのふたつの胸にそっと触れるのだ。
 ダリダの像は彼女が愛し、彼女が暮らしたモンマルトルの坂道をじっと見つめている。
 戦後1960年代、70年代の日本のポップス業界は、ダリダ一色だったことがある。
 バンビーノ、コメプリマ、ラストダンスは私に、チャオチャオ・バンビーノ、ビキニスタイルのお嬢さん、日曜は駄目よ、ベサメムーチョ、太陽に抱かれて、……つぎつぎとヒットソングを飛ばすダリダの曲にレコード会社も歌い手も飛びついた。
 越路吹雪、ザ・ピーナッツ、弘田三枝子、中原美沙緒、と当時の人気歌手がみなダリダの曲を唄った。
 イタリアからの移民の娘としてカイロに生まれたダリダは、21才にしてミス・エジプトに選ばれるほどの美貌に恵まれ、映画、レビュー、歌手と時代の頂点に登りつめたのだったが、私生活にはいつも不幸の影がつきまとっていた。彼女が心を許し愛した男は、みな自殺する、という不幸にみまわれた。一人ならず立て続けに3人の男が自殺した。
 舞台では華やかで底抜けに明るかったダリダのなにが、男たちを絶望に走らせたのか。こんなに愛して、心も富も捧げているのに、なぜ命を絶ってしまうの……度重なる不幸に耐えきれなくなった彼女は、「人生にもう耐えられない。私を許して。」と書き残し、大量の睡眠薬をのんで54才の生涯に幕を下ろした。
 モンマルトルの墓地には、彼女の等身大の裸像が光を放っている。ダリダの墓はピアフにも負けない、ゲンズブールにも負けない、彼女の輝ける生涯を物語っている。
 ダリダの一生をたどりながら、もう一度「ダリダのおっぱいに触って幸せになりたい。」


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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