足より細いタイツをはいていた女性にタイツといって叱られ、レギンスよと言われレギンスと言い直し、日本には昔からももひきというアイテムがあって同じだな、とウンチクして嫌われたことがあった。
とにかくカラダの線を出さなければファッションに非ずというのが、ここ数年の傾向だったが、アラブ難民の拡散とともにダブダブが流行ってきた。ヨーロッパでの最大の嫌われ者、イラン、イラクからの難民は皆ダブダブ・ルック、目ざといファッション業界がこれに眼をつけた。
身体の線に自信のある白人たちは、チャンスさえあればカラダを露出したがるが、プロポーションに恵まれない東洋人はすこしでも隠そうとする。その意味からもイスラム教徒のヒジャブやブルカは日本人向きなのだが、アメリカ人と勘違いしている日本人は、イスラム・ファッションを軽蔑してフレンチ伝来でないと納得しない。
そこで今年のファッション傾向なるものが、ダブダブでナチュラルだからとてもいいの、と急速に町を彩り始めた。表参道も銀座もだぶだぶ女が颯爽と歩いている。
フッションの背景にあるのはときの世界情勢という認識が皆無の大和撫子にとって流行という紋所さえあればすべてよしなのだろう。
スキニーパンツは棄てて、トロンとしたワイドパンツを手に入れる。
パンツが嫌ならスカートでもいい。パラシュート・スカート、或いはバレリーナ・スカート、ロングスカート、いずれにしても長くてダブダブ感100パーセントなのがいい。少し遅いけれどウェストには布地のリボン括りなどあってもいい。
トップスはレースのジレなど重ねて、そこはかとなくオシャレなブラの存在を知らしめる、というのもかなりの高等戦術である。
見る人の目線をなるべく下にもってきてナチュラルに着こなせれば、まず第一ステップは成功。履物はペタンコがバランス良く、ブランドもののスニーカーやサンダルが意外に良くうつる。仕上げはやや大ぶりのアクセサリーや、w使いのネックチェーンで完成する。
今シーズンのダブダブルックも、EUを悩ませた難民問題の解決とともに、やがて忘れ去られていく運命にある。
ダブダブ・ルックの源流
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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