秋になり秋刀魚の季節になると、ダニエルのことを思い出す。
中学のクラスメートで、ボクは日本人だけど半分アメリカ人だ、というようなことを言っていた。深く探索もせず、そうなのか位で過ごしていた。
ある日、そのダニエルが突然に進駐軍のスタイルで現れた。「ボク、アメリカ兵になったから…」あっけにとられたが、よく聞くと兵役を2年つとめると本国の大学が授業料免除になって、大変好都合なのだという。ダニエルのおかげで、随分いい思いをさせてもらった。
ダニエルは日曜の朝、カーキ色のジープに乗ってやってくる。PXにいこうというのだ。PXとは進駐軍専用のデパートのことだ。銀座四丁目の角、いまの和光がPXになっていた。そこでサンドウィッチ、ポテトチップ、ガム、チョコレート、コカコーラを仕入れ、第一京浜をすっ飛ばす。埃だらけになって芦ノ湖につき、湖畔の箱根ホテルでひと休み。日々の食糧も満足になかつたあの頃の日本人にとって、それは夢のアメリカ・ツアーでもあった。
そのダニエルが九月のある日、3匹の秋刀魚と大根を一本もつて我が家の玄関に現れた。
長く日本で育った彼は、秋になると秋刀魚が食べたくなる。アメリカ軍のキャンプでは話が通じない。お願いだから、七輪の炭で焼いた秋刀魚を食べさせて欲しい、というのだ。
庭先に七輪を出し、二人で火を起こす。団扇はこうやって風を送るものだとか、塩はこの高さからとか、生半可なうんちくとともに秋刀魚を焼いた。煙のなかで、焼きあがった秋刀魚にくらい付いた。
日本の秋刀魚と大根下しのコンビは、ハンバーグやステーキに数段優ると、ダニエルは幸せの顔だった。
今ダニエルは何処でどうしているだろう。秋刀魚の季節になるとダニエルを思い出す。
ダニエルの秋刀魚
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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