マスクは風邪などひいた時、まわりの人に迷惑をかけないようにかけるものと、信じてきた。何時の頃からか、排ガスでやられるからとか、香港カゼが流行しているからと環境にたいするプロテクターとなった。今年も花粉の季節がきて、マスクが離せない。道路補修の人々も防塵マスクが離せない。病院ではナース服のオネェ様がみな大きなマスクをかけている。軽井沢では防寒のためにマスクを掛ける人がけっこういる。寒いからといって、ジーパンの上にスカートをはき、コートをきてマスクをする高校生。美意識ゼロの風景が18号線ぞいに展開する。
そんな風に冬のマスクを思って東京へ出掛け、町を歩くと異常にマスク人間が多い。確実に銀座よりも新宿が、渋谷のほうがマスク人間が多い。年寄りより若い女性に多い。マスクをした高校生もやたらに目立つ。そうした風邪マスクではないマスクを近頃では「ダテ・マスク」と呼ぶらしい。
理由は「顔を見られたくない」「スッピンを見られるのが嫌だ」「マスクが守ってくれる」「自分の世界に入れる」「落ち着いて町を歩ける」あきれたのは皆と一緒の時「笑うのが面倒くさい」東京のダテ・マスクはどうみても精神的に病んでいる人々としか思えない。
欧米人は概してマスクをしない。銀座などで、数人のおばさん達がマスクをして歩いてくると、すわ伝染病の発生かと身構えるそうだ。
ベネチィアの仮面祭などは恋のため、バタフライ・マスクは背徳のため、日本でも大きなマスクは霊力をえて神になるため、さらにあの世から現世にもどって神示のためにマスクはもちいられた。ダテ・マスクの人々は完全遮光のアイマスクでもして、暗い部屋でひとりゆつくり寝ていたらよかろう。病をとわず、季節をとわずダテ・マスクが街をうろついては、国民全体がオカシクなつてしまう。
ダテ・マスクな人々。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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