有楽町駅前、毎日プラネタリウムの廊下に戦場はあった。
間もなく始まる民間商業放送のプログラム作り、テープ編集のクライマックスだった。アメリカ製のアンペックスは高価で使えなかったため、御殿山に生まれた東京通信工業のちのソニーになる新しい町工場のテープレコーダーを使っていた。東通工のテープレコーダーは重く、よく壊れた。が、工場の技術者はその廊下の片隅にある編集室に泊まり込んで、壊れる傍から修理して番組制作に不都合をきたさなかった。
時代はラジオからテレビに移った。テレビの明日が全く判らなかったとき、取材カメラの多くがベーターカムというソニーの作ったカメラだった。ベーターカムはとてもよく働いてくれ、民生用のビディオ・カメラもみなこのベーター方式で作られた。がナショナルとの販売競争に敗れ、あっという間にヴィデオはVHSの時代になった。民放初期の記録ベーター方式のテープは、はかなくもゴミ箱行となったが、ソニーへの愛着から誰も怒らなかった。
そしていまソニーの直営販売店ははじから閉鎖されている。パソコンのVAIOを止めてしまうため、売るものが無くなり、開けていても無駄、安曇野のバイオの里もなくなる。売上の70パーセントがVAIOだった全米のソニーショップもすべてなくなる。ソニーは何処かで狂ったのだ。ソニーの落日は見たくない。
ソニーの落日は見たくない
コメント
1件のフィードバック
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ベーターの前に空振りに終わった、エルカセットを調べたら、ソニー、松下電器、ティアック3社の共同開発だったのですね!
この仲良しが何故?ビデオ規格で分裂を?常に競い合って来た2強が、こんな形で終わるのは、残念すぎます。
パソコンのVAIOだけは、何らかの手で残してほしいのです。
ゲーム機ばかりに集中しすぎた付けが回ったのかとも考えます。
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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