1999年6月華やかに登場したのが、ソニーのAIBOだった。
ITバブルに踊った友人はデスクのうえに、AIBOを置いて自慢げに仕事をしていた。室内に流れる音楽もソニーの音響機器で、ソニーこそハイソな世界のシンボルだった。
まもなくITバブルは崩壊し、ソニーも急速に業績が落ち、世界のソニーはただの電気やになっていった。
高度な画像認識やいろいろなセンサーを搭載した新しいAIBOが発売され、AIBOも5代目を数えていた。
ますます業績不振をかこったソニーは、2006年ついにAIBOを放り出した。全世界に散らばったAIBO15万体の故郷がなくなったのだ。
「ソニー製ではありません。ソニー生まれです。」
「愛という感情を、ロボットに抱くとはおもわなかった。」お得意の宣伝戦略で、AIBOを売りまくったソニーに、AIBOの面倒をみるモラルはなかった。
去年の3月には、AIBOの修理をするAIBOクリニックも閉鎖され、全世界のAIBO愛好家たちは茫然とした。
この日、千葉県いずみ市の光福寺に動かなくなったAIBOが壇上に並んだ。AIBOはメンテナンスさえすれば、永遠に生き続けられると、騙された愛好家たちも集まった。
人間の手で生み出され、人間の勝手で生命を亡くしていったAIBOたちに、供養の読経はなんと聴こえたことか、AIBOの合同葬儀はこれからも続くという。
ソニーというメーカーに問われる責任はなく、モラルもない。人間ないしは人間に近いアイボをつくつても所詮金儲けの手段だつたことがはっきりした。AIBOを信じ、AIBOを愛してきた善良な人々は、やっとITやデジタルのからくりに気ずかされた。
AIBOを愛し、共に働いていた友人も起業に失敗し、故郷の老人福祉施設で働いていると風のたよりに聞こえてきた。
ソニーに棄てられたAIBO達の合同葬儀
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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