ゼンリンからグーグルアースへ

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ゼンリンからグーグルアースへ
 町内のそばやに、寿司屋に愛されてきたのが、ゼンリンの地図だった。
 そのうち宅急便やさんに重宝がられるようになった。ゼンリンの地図はすごい。
 全国70の拠点に1000人の調査員がいて、雨の日も風の日も歩いて、歩いて、歩き疲れて地図の基本データを作っている。表札やマンションの名前に変更があるか、ないか、調べて歩く。
 「変更なし」なら去年の地図に緑色のボールペンで「レ」をつける。「変更あり」なら赤色のボールペンで書き込んでいく。近頃では表札を出さない家も多く、プラバシーの壁が立ちはだかるので、こうした調査はますます困難を極める。
 日本の地図を始めて作った伊能忠敬の苦労をしのびながら、ときには110番もされ、泥棒呼ばわりされながら、来る日も来る日も、こつこつと歩き続けてアナログデータを作り続けている。
 ゼンリンの地図は瑞穂の国の暮らしをささえ、瑞穂の国のコミュニティを指し示し、30分でドミノ・ピザも宅配される、その下支えはゼンリンの地図にほかならない。
 2005年から突然に始まったのがGOOGLE EARTHのサービスだ。
 平面図から立体写真、鳥瞰図、そのほかあらゆる地図データがわかるようになった。パリで判らなかったランポーの詩の書かれた壁も、「パリ ランポーの詩  壁」それだけの入力で、見事なライブ写真にめぐりあった。
 グーグルアースは戦争の実態もまったく変えてしまった。それまでのスパイ活動のあらましを、グーグルアースが代行してくれるようになった。探査衛星とグーグルアースで戦争準備は可能になった。
 ゼンリンのデータベースはカーナビやスマホのポータルサイドに活用され、いまは自動運転やドローンによる配達作業に目標を定めているというが、グーグルアースとゼンリンのシステムが統一されたら、天下無敵のソフトができると思うが、そう単純にいかないのが世の常と、しばらくはあきらめなければならない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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