ゼンマイ蓄音機から電蓄へ

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ゼンマイ蓄音機から電蓄へ
 街角に銀座カンカン娘が流れていたあの頃、中学生がクラシック音楽にふれることなど奇跡に近かった。
コンサートはあったのだが、中学生がチケットを買って聞きにいくことなど、夢のまた夢、せいぜいレコードを
聞いて、生演奏を想像するのが当時の音楽鑑賞だった。
 78回転の重い板を手回し蓄音機のうえにのせ、ゆっくりとゼンマイを巻く。ゼンマイがいっぱいになると、やおらレコードを回し、そこに針のついたヘッドをのせる。やがて犬のマークのラッパ型スピーカーから、スクラッチとともにベートーヴェンの第五交響曲が聞こえてくる。感動的な一瞬だった。
 ただ一曲をきくのに、レコードを何回も掛け替えなければならない、途中で針も変えなければならないのには閉口した。当時のレコードは録音時間も短く、交響曲一曲にレコードが6枚も7枚も、曲によつては10枚ものレコードが必要だつた。
 そこにアメリカ占領軍とともにもたらされたのが、LPだった。シンホォニーも組曲も一枚か二枚ですむLPは奇跡のレコードだった。
 トスカニーニの指揮するラプソディー・イン・ブルーは、絶対にLPで聞かなければいけない、と先輩に脅かされ、LP用の電気蓄音機を自分で組み立てたこともあった。トスカニーニは外国の文化を運んでくる伝道師とも思え、まだ見ぬニューヨークの摩天楼をアメシャに乗って走る未来旅行を想像しながら、ガーシュインの音に興奮した青春だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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