セゾン美術館の誕生と今日

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 軽井沢にモダンアートの巡礼地ができた。何十回通ったか判らない。亡き池田万寿夫さんも大好きだった。
 1981年のセゾン現代美術館の開館は、軽井沢の住民にとってこの上なく喜ばしいニュースだった。
 筆者はそれにさかのぼること数年前、堤清二さんが西武デパートの社長になったとき、シンクタンクのメンバーとして召集された。テーマは渋谷公園通りの再開発へのプランニングだった。あの頃の公園通りには丸井もなく、ハンズもなく、どん突きの公園と渋谷公会堂だけがあった。
 後に不思議大好きのキャッチとともに、ご存じ西武は破竹の勢いで流通業界に切り込んでいった。
 千ヶ滝の森のなかに棲みついたアートの根拠地は、時代精神のよりどころになった。
 ジャスパー・ジョーンズの標的も、ウォーホルの毛沢東も、クリストの包むアートも、みな若者たちのカロリーの糧になった。あの広い庭園をいっぱいに使ったジャズナイトには、夏の軽井沢に集まるクリエーター達が皆集まった。それはセゾン美術館の青春だった。
 90年代に入り、たまたま足を踏み入れると、館蔵品にタイトルだけを塗り替えたデパート催事のごとき様相を呈するようになった。
 セゾン美術館は壮年期からいっきに老年期に入ってしまった。
 メタポリズムの巨匠といわれた菊竹清訓の設計になる建築も老い込み、発信力のない平凡さだけが眼につく。ジョージ・シーゲルのゲイ・リボリューションも、クリストファーの道端に設置されたカロリーはどこにもなく、作家の意とした価値はまつたく消滅していた。
 縁あってセゾンに10年ぶりに足を運んだが、願わくはこの美術館が20世紀の思い出館に止まらず、未来の時代精神の根拠地として生き続けられることを祈っている。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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