スーパー歌舞伎を超えたオトワヤ歌舞伎

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 菊五郎劇団と国立劇場の共同作業による江戸歌舞伎復活上演にはまっている。
 あの頃、鶴屋南北、福森久助、桜田治助、並木五瓶などきら星のごとくに狂言作者がいた。 皆変なやつばかりだった。神主あがり、炭やのおやじ、旗本の次男坊といまどきの芥川賞など足元にも寄せ付けないヤクザな作家たちが、次々と痛快極まりない上演台本を執筆していた。
 そのエネルギーに着目し、生み出された江戸歌舞伎のエッセンスを現代に生かして、復活再生を狙ったのが、菊五郎を中心にしたこの公演だ。
 今月は「開幕驚奇復讐譚(かいまくきょうきあだうちものがたり)」曲亭馬琴の本から再構成している。扮装にレディ・ガガのイメージを借用したり、ナデシコの比丘尼が出たり、菊五郎、菊之助親子の宙乗りだったりするが、宙乗りはもはや世界のレベルからするとあまりに幼い。いちどラスベガスの「オー」辺りをご覧になったらいかが、といいたい。金閣の屋根には花四天がいっせいに四方八方からフライングで登場するなど、いくらでも工夫はある。
 国立劇場が出来た半世紀前、伝統演劇の復活と再検証を旗印にスタートしたが、いまやうやく役者中心の松竹大歌舞伎に対して、作品本位の通し狂言による国立歌舞伎の立ち位置が明確になったような気がする。
 イマドキにかぶれた猿之助のスーパー歌舞伎よりはるかにましなのだ。いつも大詰め近くになると猿之助の演説が始まる、芝居全体で訴えてこそのテーマを、いちいちまとめて主役が演説する、あのシーンは耐えられなかった。演劇という上演芸術に対してあまりに無知な役者がそこにいた。
 オトワヤ歌舞伎には、三島由紀夫も目指していたケレンの現代化を、日本の伝統演劇・歌舞伎のうえに具体化してほしい。
 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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