スポーツ・ジャーナリズムの堕落

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 スポーツ新聞に、スポーツ・ジャーナリズムがない。
スポーツの在り様について、真っ当な批判を試み、よりスポーツの水準をあげていこうというメディアが、存在しない。データー情報とオベンチャラだけで、紙面をうめつくす。
 ひとつのスポーツが注目をあびると、いっせいにそのスポーツを種に利益をあげようと、主催者になり、普及活動と称して、運営に乗り出す。新聞がメディアを棄てて、商人になっている。
 テレビの現地取材と称する、お笑いの見物や、ジャニーズタレントの応援、女子アナの男探し、松岡修造のヨイショなど、スポーツ取材のいい加減さも腹立たしく、ここにもスポーツ・ジャーナリズムは存在しない。
 軽井沢にいると、こうした新聞主催のイベントがつぎつぎとやってくる。ボランティア・マニュアのオバサンは、今週はスポニチ、来週は信毎よ、つぎは信越放送なのと、スポーツの意味も考えず、カタルシスもなく、ただひたすらにメディアの小使いとなっている。地方ではボンティアだけが動員されて、善意の草刈り場になっている。 
 批判勢力を育てることの重要さが全く分かっていない。成熟したスポーツは、批評があって始めて成り立つ。スポーツを知らないタレントや女子アナの馬鹿騒ぎが、いつまで「取材」と称して通用するのか、それがこの国のスポーツ報道の水準計ともいえる。
 スポーツ報道の堕落はいつまで続くのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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