スニーカー二足の恋試し

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スニーカー二足の恋試し
 スニーカーを始めて穿いたのは、いくつの頃だったか良くおぼえていない。
 それまで、靴はニューヨークへ行くたびごとに一足ずつ買い求めていた。理由はニューヨークの五番街にあったバリーの靴屋の店員さんによる。どうしたことか、ホテルの裏口からバリーの靴屋さんがつながっていた。
 店を訪れ、ソファに腰かけ靴をぬぐと、店員は無言で足をみつめた。その間、約2秒、にっこりと微笑んで奥へはいり、持ってきた靴が寸分たがわず足にフィットした。
 だからニューヨーク行はいつもくたびれた靴で出発し、新しい靴に履き替えて成田に帰ってきた。
 そんなバリーの短靴が何時の頃からか銀座ヨシノヤに変わった。パリの石畳をあきるほど歩いても、決してくたびれず、しっかりと石畳の凸凹を吸収してくれる靴が、銀座ヨシノヤのウォーキング・シューズだった。
 しかしここ10年パリへの撮影行では、ヨシノヤの靴でも重く、スニーカーの機能をさがしもとめるようになった。
 日曜日にはオペラ座を覗きたい。1回か2回かは、正しいフレンチ・レストランにもいきたい。となると如何にものスニーカーではまずい。
 一見正しい靴にみえて、実はスニーカーなみの機能性を備えた靴でなければならない。そのためにはひも付きのスポーツタイプはまずい。派手なパッチワークのあるスニーカーもまずい。機能面からは絶対的にスリップオンがいい。長い間演出の仕事をしてきたので、舞台に駆け上がって駄目出しをするにも、スタディオのセットで演出するのも、いちいち紐のついたものでは非常に不便なのだ。スリップオンに優るものはない。
 が自身の足が間抜けの小足のため、男性用の靴ではみあたらない。甲が低く、幅は狭く、つまり女性用の靴でなければ足にフィットしない。
 黒かグレイの色を主体に探し回る。いっときスケッチャーズの靴がいいようにおもい、履いてみたが靴底からダイレクトに衝撃がつたわり、とても疲れる。メレルも重たい。ヨネックスもむだに重い。アディダスはあまりスリップオンに興味はなさそうだ。
 いつものことながら悩んでいると、スタッフがつれてってくれるという。突然の靴探しだ。
 いきなりのリーボック、2017春夏の新作でスカイスケープなるシリーズ、軽量ふわふわな履き心地、シンプルな黒グレイのツートンでなんとも足に優しい着脱楽ちんなスリップオン、街歩きから旅行通勤のセカンド・シューズ向きとある。
 念のためもう一軒と連れていかれたのが、アキレスのコンフォートシューズ、3E、24.5のアッパーに二本の偽シワのある脱ぎ履き簡単の旅先電車ないでもラクチン踵機能のついたイミテーションレザーの黒い靴、なかなかのフィット感に惚れた。
 しばらくの間、この二足を履いて、恋女房に成れるや否や試みてみよう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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