ジャンヌ・ダルク 人気の秘密

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 パリジェンヌに歴史上の好きな人は、と問えば「ジャンヌ・ダルク」の答えが返ってくる。
 パリの街で、「ジャンヌ・ダルク」の銅像は? と問えばルーブルの横のピラミデにある金ぴかのジャンヌ・ダルク像を教えてくれる。がジャンヌ・ダルクはパリのあちこちにある。
 サントーギュスタンの広場、ビクトルユーゴー、サンマルセル、など、少女の面影の色濃い像から、戦士として始めての出陣、前線で兵士を指揮している雄姿と、僅か一年の彼女の足跡を辿ることが出来る。
 なかでも素晴らしいのは、ビラケム橋の中ほどにある馬上のジャンヌ・ダルク、エッフェル塔に向かって進軍の号令をかけている。馬と一体になった戦士の造形に優れ、信じられないバランスの上に像は建っている。
 人気の理由について考えてみた。まず16歳の少女だったということ。16歳のいたいけな女の子が国を救うために立ち上がったという事実、今では珍しくもないが中世において女性の兵隊は考えられなかった。身を賭して命を賭けたという凄さ。オルレアンの戦いにおいて、それまでの戦略常識を破ってフランス軍を勝利に導いた。男装の美少女というカッコよさ、も勿論あるだろう。
 教会を通さず直接神の啓示を聞いたという異端の罪で、宗教裁判によって断罪されたが、現代では中世宗教裁判への疑問が熟成されている。それ故に1920年にはローマ法王庁によって、聖女に列せられた。
 またナポレオンが彼女を愛したということもかなりジャンヌ・ブームの一助になっている。
 なんといってもルーアンの広場で火刑台上の露と消え、その灰はセーヌに流されたという彼女の短過ぎた人生が、こよなく国を愛する人々の心に深く残っているのだろう。
 聖女か、魔女か、それとも狂人か、ジャンヌ・ダルクにまつわる伝説はフランス中に、男装の聖処女、救国の聖女として生き続けている。
 
  


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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