ジャニーズ終焉の報に接して

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 東山、井ノ原両氏によるジャニーズ解散の報に接し、ようやくこの国の芸能界にも光が見えてきた、という気分だ。
 振り返ればジャニーズ事務所設立前、渡辺プロの美佐さんからお誘いをうけ、メリーさん、と同席したのが始まり、爾来メリーさんとは度々仕事をした。日本青年館に於けるジャニーズ・ショウの構成演出、帝国劇場に於けるジャニーズ初めてのミュージカル構成演出、そして初めてのLPレコード「ライブ・ミュージカル/ 生きていくのは僕たちだ」制作等、ジャニーズ事務所立上りの黎明期であった。
 事務所設立にあたって諸種のサゼッションをし、面倒をみていたのは渡辺美佐さんだった。美佐さんとしては、健全な芸能プロダクションとして育ってくれることをまったく信じて疑はなかったのだ。
 ジャニーさんの男色性犯罪については知らなかったが、ある時たまたま町で見かけた郷ひろみをジャニーさんが喜んでいた現場に接し、少し異常な少年愛があるなと感じた。メリーさんは当然弟の異常な性趣味を知っていたが、それをカバーするかのように彼を表にださず、メディアとの接点はすべてメリーさんがあたっていた。無理なマネージメントも抱き合わせの出演条件もすべてメリーさんの目論見通りの事務所だった。
 まもなくジャニーズ事務所とは疎遠になり、仕事のつながりはなくなったが、その頃からジャニーズ事務所からデビューした少年アイドルに対し、世のお母さんたちが熱狂的に応援するようになつた。我が息子をアイドルにと願うママたちからの写真履歴書が日々何百通ととどき、ジャニーさんの性的趣向をますます拡大させていったのだ。その点からはマスコミとともにジャニーズタレントに熱狂したファンたちにも大きな責任がある。
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 その間、次々と送り出されるアイドル達の選定は、総てジャニーさんの男色趣味をパスした次のアイドル達。その意味からはいま活躍しているジャニーズ・タレントたちが、すべてを明らかにし、自分自身のうけた性的犯罪を語らなければ今日の騒動は終わらない。
 がなにはともあれ英国BBCの告発に始まった日本の芸能界に於ける異常な状態が是正される方向に踏み出したことは嬉しい。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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