ジャニーズ反省したふり会見

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 ジャニーズ第三幕ともいうべき、記者会見をみた。
 藤島ジュリー、東山紀之、井ノ原快彦、三人揃い踏みの「反省会見」だった。いずれこの会見が反省ならぬ「反省したふり」だったかどうかは時間があきらかにすることだろう。
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 文春チームが度々取り上げてきたにもかかわらず、ジャニー喜多川の性犯罪が表面化しなかったのは、ひとえに姉メリーの強力かつヒステリックなマネージメントのお蔭と、それに隠れて自己保身と出世欲に走ったタレント達の狡猾さだ。
 現在第一線で活躍しているジャニーズ・タレントの多くは、ジャニー喜多川の性の踏み絵をふんでデビュウしてきた。彼等は口をつぐんで知らなかったことにしているが、これこそジャニーズ系アイドルの醜悪な側面である。
 さらにこの犯罪を助長した要因は、それを利用してアイドル人気に竿さしたNHKを始め基幹民放局の幹部やプロデューサー達である。視聴率をかせぎ、アイドル人気に便乗しようと、藤島メリーの強引な抱き合わせ出演やスケジュール調整、出演条件を唯々諾々と吞んできた。
 さらにジャニーズ王国を完成させるうえでもっとも貢献したのは、NHKかもしれない。大河ドラマと紅白歌合戦に次々とジャニーズ・タレントを起用したまさにジャニーズ御用テレビのごとき状態である。ジャニーズ常駐のNHK理事がいたという噂まである。
 アイドル雑誌、メディア情報誌の編集関係者もみな共犯であることも認識すべきだろう。表紙やグラビアはすべてジャニーズに頼るといった安易な方向にはしり、ジャニー喜多川の犯罪に加担してきた。
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 英国国立放送BBCによる「日本の芸能界の闇」として取り上げられるまで、この犯罪は表面化しなかった。
 「いつか吾が子をアイドルに…」という母親が異常に多いのもこの国だけの現象、世界中さがしてもこんな国はない。
 「世界の非常識・日本の常識」ジャニーズ事務所の実態も考えず、我が子の履歴書を送り続けた親も反省すべきだろう。人間としての教育がもつとも必要な時期に芸能を目指し非常識な人格をつくりあげてどうするのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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