ジェンダーミックスを考える

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ジェンダーミックスを考える
 男と女の壁がなくなってきた。
 メンズ・ファッションとウイメンズ・ファッションがこれほど知かずいた時代をしらない。デバートはメンズ館とレディス館を分けて商売をしているが、ジェンダー・ミックスの時代には対応出来ないかもしれない。
 ファッション業界のとんがった人たちだけでなく、町を行く人のなかにも、クールな表情にライダースーツやスキニーパンツをはきこなし、さっそうと歩いている女性をみかけることがある。
 性転換や同性婚が市民権を得て、だからなんなの、私は私の意識が大きく登場し、枠をはずしよりクリエイティブな方向でファッションをかんがえるようになったのだろう。
 男女に関係なく着たい物を着る。ジェンダーミックスの時代が、いっきにくるともおもえないが、オフデューティの場や、終末のストリート・ファッションを突破口に確実に広がっていくだろう。男がシホンのブラウスを着て、職場には行きにくいかもしれないが、女性がレザージャケットで働くのは何ひとつ無理はない。
 アレキサンドロ・ミケーレひきいるグッチのコレクションでも、どれが女性でどれが男性かまったく区別がつかなかったと報じられている。エディ・スリマンのサンローランも全く同じで、男女の壁をこえたところに新しいファッションが存在したといわれている。
 この国でもユニクロ辺りが口火をきり、ストリート風景の革新はすぐそこまできているとさえいわれている。
 先ずジェンダーレス時代に生きていくには、自己革新から始めねばならず、枠を超え、常識を超え、何を選ぶかに直面したとき、初めてジェンダーレスの本意にぶつかるのだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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