ジェンダーフリーの恐ろしさ

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 ジェンダーフリーというフレーズが大手をふって歩くようになった。
 餌食になった森喜朗元首相は無念のうちにオリンピックを終え、とにかくSDGsとCO2とジェンダーフリーに翼賛しなければ人にあらずといった世間の有様である。
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 ジェンダーフリーに乗じて登場してきたのが、美容男子という種族だ。
 女性の美学だった化粧術を我が物にし、役者もたじろぐメークを施してテレビや雑誌に登場する。
 一役かってこの風潮のプロモーション役を買って出ているのが、踊るさんま御殿だった。
 Matt、マービィン、緒形りょう、IKKO……化物屋敷ならぬジエンダーフリー部屋の恐ろしさを笑いに変えて見せていた。
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 へアトニック、アフターシェーブローション、乳液位で男のケアは済んでいたが、今では肌補正クリーム、スキン・パーフェクター、ホレスト・トナー、ジェントル・トナーと言われても、オジサン達には理解不能、改めて韓国化粧品の勉強に新大久保あたりに行ってこなければならない。
 基準はすべて女性目線、彼女たちの「まあ、カワイイ!!」に答えなければジェンダー地獄を生きていけない。
 スキン・ケア、髭処理、口臭ケア、筋トレ、そしてオシャレを克服し、ジェンダーフリーと闘って生きぬかねばならない。
 アァ! にほんの若者たちよ。 


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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