シルク・ド・ソレイユ95%解雇

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 ラスベガスのストリップからショウのネオンが消えた。
 ショウビジネスに関わってきた身としてこんなに寂しいことはない。
 ショウを勉強するのなら先ずパリ、そしてニューヨーク、仕上げはラスベガスというのが若いころからの不文律だった。ショウ・ビジネスはそれ以外の世界には存在しなかった。宝塚、日劇、国際とこの国にもショウはあったが、ニューヨークやヴェガスのショウには比べものにならなかった。
 宝塚はキレイだったが少女趣味にとどまっていたし、日劇には世界の民族舞踊というテーマがあったが短期公演だったために採算がとれずに幕を下ろした。国際は劇場があまりに大きく、下町風な良さはレビュウから洗練さを奪った。
 現在世界のレジェンド・ショウの95パーセントを制作しているシルク・ド・ソレイユが、武漢コロナの直撃をうけスタッフ・キャストの95パーセントに及ぶ4679人を解雇すると3月19日に発表した。
 もとはカナダの火吹き大道芸人ギー・ラリベルテによって設立されたシルク・ド・ソレイユは、余りにも規模が大きくなりすぎ、現在株の持分はTPGキャピタルというジャンク・ファンドが60パーセント、中国の復星国際が20パーセント、ケベックの預金ファンドが10パーセントという株主によって運営されている。
 日本人も60人のダンサーとサーカスマン、ヴァイオリン3名、衣裳デザイナー1名が参加しているが、恐らく皆解雇されたのだろう。
 ベガスでは MGMグランドホテル(Kaカー) ホテル・ベラージォ(Oオー) トレジャー・アイランド(Mystereミスティール) ニューヨーク・ニューヨーク(Zumanityズーマニティ) ミラージュ(Loveラブ) ルクソール(Criss Angel Mind Freak Live) マンダレイ・ベイ(Mickael Jackson One)などストリップにある大きなホテルのショウをほとんど製作しているが、彼らのショウは劇場機構からすべて作り変えるため、他のショウを入れることは不可能なのだ。
 コロナのパンデミックが収まったのち、この全員解雇に近い状況からどう立て直していくのか注目したい。その時がきたら再公募してオーディションにかければいくらでも集まると考えているのかもしれない。ショウ・ビジネスの非情な過酷さが武漢コロナを機会にあぶり出され、ノー天気な日本人には代えっていい薬かもしれない。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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