軽トラ市がこんなに流行っているとは知らなかった。
人通りが消えた地方のシャッター商店街、いまやそうした商店街再生の目玉が、軽トラックが集合して開く田舎のマルシェだという。
我が国ならではの軽トラックが主役だが、軽トラほど役に立つクルマはないという。
まずサイズの小ささがいい。そのうえ小回りがきくのでアーケードに並べるにも、校庭に並べるにも取り回しが楽なのだ。足にもなるし、ちいさな商店にもなるし、展示台になるし、飲食のカウンターにも利用できる。なによりも撤去が楽、設営も簡単にできるし、商店街や農家ではどこの家にもセカンドカーとして鎮座している。
農家のベンツとして断然第一位。ママチャリならぬママトラとも呼ばれている。
人通りのなくなったアーケードに、数十台の軽トラ市場が出現すると、時に数千人規模の人が集まる。
岩手県の「しずくいし軽トラ市」を皮切りに、いまや全国100ヶ所以上で開かれている。
新潟南魚沼市の「つむぎ通り軽トラ市」、愛知新城の「しんしろ軽トラ市」、栃木「あしかが坂西軽トラ市」、群馬「いせさき軽トラ朝市」、 福山鞆の浦では、「とも・潮待ち軽トラ市」、宮崎には一万人が訪れる「定期朝市」トロントロン軽トラ市、等々……。
</a
どこの軽トラ市も、集まった、売ってる だけではない工夫をこらしている。
流しソーメン、ダンス競争、書道争い、早喰い、早飲み、バンド大会、街角手品、福引、おじさんライブ、などあれやこれやと誘客に努力している。
シャッター街を救うのは軽トラックかもしれない。
シャッター街の救世主・軽トラ市
コメント
プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
コメントを残す