サン・マルタン運河の喜びと悲しみ

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サン・マルタン運河の喜びと悲しみ サン・マルタン運河の喜びと悲しみ-2
 セーヌを豪華な大型船で、食事をしながらクルーズする。両岸は世界遺産になっている重厚な建築群、これはパリ観光の表通りだ。
 それに対し、パリの東、下町の10区11区を流れる小さな運河、わずか4,5キロしかないサン・マルタン運河は、パリの素顔に出逢える裏通りのクルージングともいえる。
 パリへ行くと、無性に行きたくなるのが、サン・マルタンの運河沿い、北ホテルの辺り。
「どうして、そんなに私を見るの。」 「君を見失わないためさ。」 欧州映画の名作台詞集に必ず集録されていたのが、マルセル・カルネ監督の作品「北ホテル」だった。
 その台詞を読むたびに、見知らぬ青春の一頁を妄想していた。遠い日本でも1938年に作られた「北ホテル」は映像を志す青年にとってバイブルだった。
 無理心中から生き返った少女ルネは、むしょうに可愛かったし健気だったが、若きピエールを破滅に追い込む毒をもっていた。7月14日の革命記念日で町中が浮かれているさなか、北ホテルの二階の部屋で、ピエールとルネは最後の接吻を交わしピストル心中を計る。
 あの80年前の名作のホテルがそのままそこにある。
 サン・マルタンの運河沿いには、本を読む人、ジャンボン・サンドをかじる人、甲羅干しの人、ジョギングの人、子供を遊ばせる母、いつまでも抱き合っている恋人たち、パリの下町の人々が集まっている。
 目の前の運河では、カーブした太鼓橋がそのまま上下したり、右左に開いたり、水門が閉じて少しずつ水位が低くなったり、水門が開いて再び水位が上がったり、人間が科学に期待した始まりの温かさがあって、不思議と幸せな気分になる。
 運河の上にあるちいさな公園の管理人の娘さんのために、近所のみんなが集まって踊って祝う、そんな「北ホテル」の始まりのシーンが良く似合う「サン・マルタン運河」なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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