サンマルコの大晦日から、サンジェルマンのベルニサージュへ

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 ヴェネチアの大運河に面し、眼のまえにサンタマリア大聖堂を望んで、「グリッティ・パレス・ラグジュアリー・ホテル」がある。
15世紀の貴族の館をそのままホテルにした超高級ホテルだ。
一生に一度は泊まってみたい世界の五つのホテルに数えられている。
 その年、マンマルコ広場でのニューイヤーを迎えたくて、たまたまそのホテルにいた。大晦日のサンマルコ広場は、祝いのシャンパンを一口飲んで、足元の石畳になげつけるので、ガラスの破片で広場は埋め尽くされる。名物の仮面とシャンパンの香りととガラスの破片のなかで、新しい歳の来迎を祝うのだ。
 そこに突然電話が掛かってきた。 
お隣フランスはニースのシャトーからだった。何十年も前に芝居を教えていた少女からだった。いまここにベガスのトコちゃんがいるけれど、星野さんの名前がでて、共通の知人であることが判ったので電話を掛けたというのだ。
 翌年5月、ニースの劇場でジャパン・ウイークのショウを演出していた僕の前に、振袖姿に大きな花束をかかえた混血の少女が現れた。電話の主の娘だった。電話の主はヨーロッパ随一の美術財団サザビー家の息子である建築家と結婚をし、ニースのシャトーで暮らしていた。
 ピカソの陶板が引き詰められたシャトーは、コーヒーメーカーのCMにも登場し、お城の葡萄畑には何人かの農夫が働いていた。
 爾来交流を重ね、霧のなかの北イタリア建築紀行、春の桂離宮、一力茶屋だったり、リヨンの美食行、白根草津の温泉めぐりと、歳月にふさわしい交友を重ねてきた。
 そして今年、パり個展のベルニサージュにうち揃ってきてくれた。
 ブラッセルからTOMとTOMMIE夫妻、ラスベガスからTOKO LEE夫人、ロンドンからMINDA Lonsdale夫人、サン・ジェルマンのギャラリーがひときわ明るく笑顔が満ちた。
 そしてミセス芦田の気使い、虎屋社長の心ずかいに感謝しながらのセーヌ通りの一夜だった。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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