エスカレーター式のタラップまで持ち込んで来日を果たしたサウジアラビア国王様御一行については、あれ程騒いだにもかかわらず後日報はまったくきかない。
40機の飛行機を従え、東京中のベンツ、BMW、アウディのハイクラスをキープしての超大名旅行を目の前に
した日本女性は、100人目の恋人でもいいからあやかりたいと一行に殺到したが、残念ながらまったく相手にされなかった。
税金もただ、教育費もただとあればいいことずくめだし、なにもしなくとも毎月7万円は下さるというのだから、消費税が高いの安いのとさわいでいる日本からは憧れの天国にみえて当り前だろう。
がすべてが良い事ずくめかといえばそんなことはない。
21世紀のいまでも首切りや、鞭打ちの刑があるというから驚きである。それも街角に公開首切り場があるときいては二度ビックリなのだ。その裁きも警察ではなく勧善懲悪委員会というイスラムの教義を守るボス達の組織が総てを握っている。酒を飲めば鞭打ちの刑、窃盗は左手首の切断刑、もっと重いのは不倫の罰で、関係した男女は腰まで土に埋められ、死ぬまで石が飛んでくる石打の刑がまっている。
自由、平等を謳歌しふしだらに慣れた若者は、サウジにいけばたちまちに石打の刑をくらってしまうだろう。
イスラムの教えをもっとも厳格に守っているのがサウジアラビアなので、色恋の日々を送る東京タラレバ娘は生存そのものを否定されてしまうのだ。
地下から石油が湧いている間は何とか維持できるだろうが、IT国家への転換を試み、怪しげなオタク人間が世界中から集まった時、サウジの王様はどんな手を打つのだろう。
オイルマネーの落日はそこまで来ている。
サウジの恋人になりたかった女性たちへ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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