サイバー戦争に耐えたアパホテル

by

in

サイバー戦争に耐えたアパホテル
 アパグループ代表元谷外志雄氏の手記を読み、アパホテルの受けた中国からのサイバー攻撃のいかに熾烈だったかについて考えさせられた。
 一月十七日中国のウェイボーに、日本のアパホテルに「南京大虐殺を否定する本」が置かれていると動画が投稿された。中国の若者とアメリカ女子学生のカップルKat and Sidによるものだつた。
 この動画は二日間で7800万回再生され、その後一億回に達したと報じられた。
 その時、日本のメディアは「謝罪しないのか」「書籍は撤廃しないのか」とあたかもアパが悪いと言わんばかりの取材申込が殺到した。その時アパは「国によって歴史認識や歴史教育が異なることは認識していますが、この本は特定の国に対する批判を目的にしたものでなく、事実にもとずく本当の歴史を知ることが目的なので、客室からこの本を撤去することはありません」と公式サイトに掲載した。
 それに対し中国外務省は「これは中国観光客に対する公然とした挑発である」と介入してきた。直ちにサイバー攻撃とおもわれる異常なアクセスに見舞われ、アパホテルのネット予約はダウン、アパの宿泊予約不可能に陥った。
 23日に復旧すると、今度は24日に中国国家観光局が、旅行代理店に対してアパとの取引中止を要請。
 そしてその後プロのハッカー集団による一日30万件にのぼる攻撃がアパの公式サイトに加えられた。通常外部からは絶対に知りえないサーバーのIPアドレスが特定され、そこを攻撃されたという。
 日本のプロの専門家によれば、この攻撃は素人では不可能で、プロのハッカー集団であり、その規模は国家レベルだといわれた。その後アパは新しい最高のセキュリティ対策を施し、一日最大1000万件の攻撃を凌いで今日に至っている。
 さらに全員マスクのプロ市民によるデモをかけられたり、同じワープロ文による大量葉書攻撃はつづいているが、いちばんやっかいなのは反日日本人によるメディア露出だという。
 日本のメディアには、なんと反日日本人が多い事か、と元谷外志雄氏は嘆いている。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ