ゴキブリに負けた焼きそば会社

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ゴキブリに負けた焼きそば会社
 昨年暮れ、突然に異物混入事件が多発した。
 ペヤングソース焼きそばにゴキブリが入っていたというのだ。それに続いて日清のスパゲティにもゴキブリがいた。 マルハの鮭缶から金属片が出てきた。和光堂の離乳食にはコオロギがいた。マクドのポテトには人間の歯が落ちていた。びっくりするほどの異物混入が次々と報じられた。
 が19才の少年の袋菓子への爪楊枝突き刺し事件以来、ばったり異物混入の報道は消えた。次々にあった混入異物が突然にすがたを消した。そうだとすると、異物混入を企み、かつ実行していた黒い集団か、困った人々がいたことになる。そうでなければ日本中に広がり、消えていった混入騒動は説明がつかない。
人々は異物混入を暴露することによって、大企業が右往左往する姿に留飲を下げていたのかもしれない 若者たちは自分の手元でPCを操作することで、無限に拡散する一次情報の醍醐味を知ってしまったのかも
しれない。ラジオの時代、オールナイトニッポンを茶化す、というのが流行ったことがあった。女子高生が番組に電話をかけ、先生も驚く妊娠話をでっちあげ、司会者をからかうというゲームだった。翌日電話でオバカな相談をした女子は、仲間内のスターになった。
 メディア時代のトラブルを見ていると、何故か共通する愉快犯のようにも思える。
 現に年間5300万食も売っていたペヤングは製造中止、販売中止、工場は半閉鎖状態になってしまった。一匹のゴキブリが、伊勢崎のまるか食品を破産状態に追い込んだのだ。
 無意味な潔癖症と、世論気にしすぎの過剰対応が、何百人かの職場を奪ってしまった。
メディアも変だし、もっと暮らしにゆとりをもって対応しなければ、ゆがんだ偏執狂社会になつてしまうのではないかと、日々心配である。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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