本郷には小さな喫茶店が沢山あった。それぞれ客層が別れていて、どこは法学系、どの店は理工系、どこそこは医学系と店のオーナーもウェイトレスのマドンナも含めて、それぞれ教授、学生、先輩、後輩が界をなしていた。
文学系のコーヒー店で名門と謳われたのが、中央沿線作家のたまり場だつた西荻窪のこけし屋。下はコーヒー店なのだが、二階の座敷は文壇人の集会場となっていて、その座敷にあがると、なんとなくインテリになったような気がした。
あの頃の店はどこもアナログで、オヤジがネル・ドロップで入れていたり、パーコレーターで入れて、豆自慢、煎り自慢のうんちく付きだったような気がする。
戦後の住宅事情の悪さが、この国の喫茶店発展に大きく影響したが、同時に世界中のどこにもない独特の進化を遂げた。癒し、待ち合わせ、出会い、会議、会食、言い換えれば、初恋もビジネスも人生の思い出すべてを引き受けていたのが町の喫茶店だった。
それがいっきに変わったのは、スターバックス、タリーズなどシアトル系コーヒーチェーンの世界進出、コーヒー専門店のセカンド・ウェーブといわれている。便利で重宝だが、それだけ、人と人との触れあいはまったくない。経営するほうはひたすら利益追求に走り、客もサービスを求めない。店員もマニュアル通り働くことが義務づけられ、サービスは外に置かれた。
そこで今注目を集めているのが、フルサービスの復活、豆へのこだわり、丁寧なサービス、ゆったりとした空間を備え、チェーン店では味わえないコーヒー専門店、「サード・ウェーブ」と呼ばれている。
渋谷のFILBERT STEPSや、軽井沢に始まった世田谷の丸山珈琲など、ドトールも日レスホールディングと組んでフルサービス方式の「星乃珈琲」を立ち上げる。いつか日本のコーヒー文化が世界中に迎えられる時が来るかもしれない。
コーヒー店の第三の波
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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