コロナ禍の一人勝ち「から揚げ屋」

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 コロナ下で多くの飲食店、料理屋が悪戦苦闘しているなかで、画期的に売上げを伸ばしているところがある。
 ひとつは宅配サービスの 「Uber Eeats」、ドアを開けたら有名芸能人が、Uber Eeats のカバンをしょってたっていたという話も伝わる。
 外出できない巣ごもり状態でただひとつの楽しみは、宅配サービスでプロの味の美味いものが食べたい、というささやかな望みだった。デリバリーの配達代行がのびて、いまや加盟店数が30000店に及んでいるというのもうなづける。
 もうひとつ業界で一人勝ちなのが、「から揚げ屋」。外食産業が軒並み不振に陥ったなか「から揚げ屋」だけが一大トレンドにのし上がった。
 牛や豚に比べ健康にいいという効用が浸透しているうえ、昔からテイクアウトの需要がおおかった。
 価格にしても比較的安価なうえ、国産品で充分やっていける素地があった。出店も駅前や繁華街ではなく、スーパーの近くとか、住宅街で充分やっていける。
 コロナが繁華街から撤退せざるを得ない小店舗経営者にとって、少ない資本で開店できるメリットもある。
 必要な設備は冷蔵庫と鶏肉を揚げるフライヤーのみ。店によっては初期投資は、300万もかからない。テイクアウト専門店にしてしまえば1人ですべてが賄えるという利点もある。台所の窓をあけて、デリバリ専門の唐揚げ屋は明日にでも開店可能なのだ。
 主婦のコロナ禍のたすけにもなり、家族のなかに唐揚げ嫌いというのも少ない。
 かくて「鳥笑」「からやま」「から好し」「から揚げの天才」とチェーン店が日本全国に大増殖中なのだ。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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