コロナのアクリル障壁がよみがえった。

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 コロナが終わって、アクリル板とマスクがのこった。
 マスクはまたの流行ということもあり、しばらくはしまっておいてもいいか、と納得している。
 さてアクリル板はどうしよう。お客さんのたびにテーブルの真ん中に置いたり、デスクのアシスタントとの間にたててみたり、ほとんど効果はないに等しいが、カフェに行っても、寿司やに行っても、隣の客とをさえぎったり、板さんとの間にたててあったり、人間不信を煽り立てるような困った存在だった。
アクリル出札.jpg
 ところが突然にアクリル板がよみがえった。
 筑波大学生の発見に、あの凸版印刷の努力が加わって見事に生き返った。
 観光のためはるか海の向こうからやってきた外国人にとってこんなに有り難いものはない。
 駅で切符を買うのにいっさい苦労がない。
 母国語で出札窓口で行きたい駅の名を告げれば、瞬時に日本語に翻訳してくれ、ストレス零パーセントで切符が買える。
 こんなに便利なものはない。目下、西武新宿駅でテスト設置中、秋には本格登場予定。
 ローマの終着駅にもパリのターミナルにも、ニューヨークにもこんなに便利な窓口はない。
 切符を売る駅員さんの日本語も即座に相手の母国語に翻訳され、アクリル板に表示される。
 「翻訳対応透明ディスプレイ」である。身振り手振りも発音の難しさもなくすべてスムースに出札の難関は解決する。
 使える言葉もただ今のところ12か国、英語、韓国語、中国語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語、ポルトガル語、ミャンマー語、スペイン語、フランス語、フィリッピン語、日本語と幅広くカバーしている。
 このシステムが実用化され日本の駅や税関、デパートなどに完備されたら訪日外国人はびっくり感動することだろう。
 日本の温水トイレにびっくりし、つぎはこのしゃべるれるアクリル板にびっくりすることだろう。


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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