医学のなかった時代、日本人はどうやってウィルスやコロナと戦ってきたのか。
祈ったり、願ったりの他力本願だけではなく、みずから努力して流行り病と闘ってきた筈だから、三密などという意識はなかったと思うし、ましてやソーシャル・ディスタンスなどというこじゃれたキャッチフレーズも存在しなかったから、いろいろそれなりに工夫して暮らしてきたに違いない。
流行り病の対抗食として、一番のエースは「梅干し」ではなかったか。
朝いちばんのお茶……朝でのお茶には必ず梅干しがついていた。色鮮やかな真赤で、少し舐めただけでも口がすぼみ、口中いっぱいに酸味が広がる。身体にいいから我慢して食べなさいと母親にいわれ、半分眼を瞑ってたべたものだ。こんなに酸っぱいものを何故大人は好むのか、疑問に思っていた。
箱根の旅館に泊まった翌朝は、渋い小梅に砂糖が添えられていて、なんと我が家の梅干しとは違うものだと感心した。
最近、コロナ対策として唾液が注目されている。昔から豊富な唾液は、風邪予防や疲労回復・血の巡りにいいとされてきた。その唾液の増量に最も効くのが梅干しと言われている。「梅の酸味は、胃腸の毒を下し、疫病を駆逐する」と江戸時代の「本町食鑑」にもある。
アメリカのワクチンとか、イギリスのワクチンとか、ワクチンの情報がとびかっているが、案外日本古来の梅干しワクチンあたりが、身の丈にあったワクチンかもしれない。
「コロナに効く献上紀州金の梅干し」など登場したら、夜の銀座で流行るかもしれない。
コロナに効く「献上紀州金の梅干し」
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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