コロナと久兵衛の日々

by

in ,

寿司久兵衛.jpg
 次々と中止の電話やら、お便りが入っている。
 宝塚歌劇も中止になった。市川団十郎襲名披露パーティも中止になった。一世一代の晴れがましい舞台も飛んでしまうという悲しい日々がつづいている。
 街も閑散としている。新幹線も空いている。前日に切符を買いに行かなくとも、当日乗車時で11号車16番A席にすわることができる。
有り難いが活気のない悲しい日々である。ましてや老人はかかりやすく死にやすいと言われては不愉快きわまりない。
 そんな中をものともせずブラッセルから友人がきた。
 刺身が食べたいという、コロナにまけず美味い刺身を供してくれるのは何処か、と考えた。彼の地にも日本食やは多々あるが、包丁の切れ味と捌きだけで完成する江戸前の刺身をみつけるのは困難なのだ。
 それならば型通りの懐石よりも寿司やに限る、日本に住む先輩として美味い刺身を提供する義務がある。というわけで銀座八丁目の久兵衛に伺った。
 二階の掘りごたつ形式の座敷には桃の花が咲き乱れ春爛漫であった。次々としゅんの肴を捌き、いくつもの貝の微妙にことなる味を楽しみ、生と焼きの違いなどをいただいて至福の時間をすごした。
 女王の孫のヘンリーについて話題がはずんだ。どこの国でも君主の子供の次男坊というのは問題なのよ。ヘンリーも散々母ダイアナから「あなたは次男だから国王にはなれないのよ、だから兄のチャールズに尽くしなさい」と言われて育ったに違いないわ。それが我慢できなかった馬鹿なのよ。日本だってそうじゃない秋篠宮は次男だから歪んでいると思わない?見事に次男坊ボンクラ説を裁いて見せた。
 どうやら彼の地では、メーガン悪女説とヘンリーお馬鹿説が半々にわかれているようだ。
 


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ