グリコのサインは、大阪の名所を超えて日本の名所だったような気がする。
初めて東京から大阪にいったとき、駆け付けたのは戎橋のたもとだつた。2代目グリコが復活し再建されて間もなくだったが、砲弾型の光背のしたには特設のステージがあり、ロカビリー大会などやっていた。これが彼の有名なグリコの看板かと、ドブに映った姿を何時までも見ていた。
パリから帰国して間もなく、ミナミに招待されて通りかかった時には水車のようなノズルから水が吹き出し、綺麗な虹のなかをグリコの選手が走っていた。
大阪万博の後には、競技場のトラックが明滅して走るランナーは躍動感いっぱいのサインと変わった。
2003年には大阪市指定景観形成物に指定され、大阪城の天守閣や住吉大社等とともに、大阪の
オフィシャルな景観となり、広告は景色になった。阪神タイガースのユニフォームを着たり、サッカーのユニフォームに着替えたり、グリコはつねに時代とともに走ってきた。
今回の新装工事中には、綾瀬はるかが走って話題になった。
背景は14万個のLEDで、大阪の名所どころか世界の名所を自由自在にえがけるというが、グリコの宣伝部はどこかで間違ったようだ。グリコの選手は世界の名所を走る必要がない。この国のどこかレトロな街並みをはしってこそのグリコだし、東北の被災地を走ったほうがずっといいのだ。
少し不自由な世界にもどってこそのグリコの看板ではなかろうか。アメリカ製のパソコンにおだてられグローバルになってしまつては、個性がなくなる。
ヨーロッパではのきなみグローバル政策の失敗から今新しい舵取の再構築をはかっている。
グリコのサインはグローパルにならない方がいい。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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