グランプリ・ファイナルと広告代理店のモラル

by

in

グランプリ・ファイナルと広告代理店のモラル
 嫌いなハーフ・ハーフの浅田真央が消え、ようやく次の世代の選手が登場してきたので、ままテレビのフィギャア・スケートを見ることがある。
 求道者のような羽生結弦やネズミに似た宮原知子など、表現のレベルが世界に近ずいて来たので楽しい。
それでもロシアのメドペデワの足元にも及ばないのは、本人だけの問題ではなくコーチ、振付に問題があるのは明らかだ。本人も内面の劇的把握力をみがき、スケートに於ける全身表現をさらにステップアップしなければ、
白人選手たちへの勝ち目はない。
 今年のフィギャア・グランプリ・ファイナルはフランス、マルセイユでの開催だった。ところがTV画面を見ている限り、埼玉か博多で開らかれているように見える。
 羽生結弦が4回転すると「ジャパネット・たかた30年祭」が共に写る。宮原知子が頑張ると、マチキンの「アコム」が流れ、パチンコの「マルハン」が写し出されるのだ。シティズンやコーセーはまあ納得できるが、「木下グループ」に至ってはなんのためか全く判らない。
 代理店は、テレビ中継で日本の視聴者が○○パーセント見ますので、とか甘言を用いて、スポンサーに引き込み、会場の壁にこれ見よがしに掲出しているのだが、その根性がひどく嘆かわしい。広告に対するモラルがないのだ。かつて雑誌や新聞では広告の適否が厳しく審査されていた。ところが今では、金にさえなればなんでもかんでも出稿する。フランスまでいって月賦や、マチキンの宣伝をする必然性がない。スポーツも文化もすべて金儲けの手段なのだ。
 かの地の人々も、何だか判らない漢字を並べられ、それが日本の月賦やと説明されても、グランプリ・ファイナルにふさわしいスポンサーとは誰も思わないだろう。
 広告代理店にモラルを、グローバルに浮かされた電通よ、眼を覚ませなのだ。


コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ