クリスマス・ケーキにときめかない

by

in

 グランド・キャバレーの時代があった。
 ショーが中心で、ダンスフロアがあって、フルバンドが入っていて、見渡すかぎりイブニング姿のホステスさんがいて、ピンサロやアルサロとはまったく異なる大人の社交場だった。 …クラウン、モンテカルロ、交詢社シロー、ミマツ、ハリウッドと、夜の銀座はキャバレーなくして語れなかった。
 女性たちのいる小さなバーもいろいろあった。伝説のエスポアール、京都から東上したおそめ、ここは文壇人、あそこは映画人と暗黙の縄張りがあって、そうした店には業界の先輩に連れられて始めの顔つなぎをするのがルールだった。気にいれば、自分の財布で裏を返せばいい。
 クリスマスが近ずくと、みゆき通りや並木通りのそこここにクリスマス・ケーキが積まれ、ジングルベルがなって道行く人々の気をひいた。キャバレーのホステスたちはみな上だけサンタになって、客と戯れた。お酒の入ったおじさん達は、お土産にクリスマス・ケーキを持たされた。イブの夜には、三角帽子をかぶり、白髭をつけた千鳥足がケーキを手に裏通りをふらついていた。
 24日まで現金正価だったケーキは、25日からは売れ残りの安売りクリスマス・ケーキになった。という訳で、25歳以上の独身女性を「クリスマス・ケーキ」と呼んだこともあった。いまでは適齢期を過ぎたから、少々値引きしてと考える女性は皆無となり、30過ぎてますますセレブになって男の品定めをする。
 ケーキはダロワイヨか、ラデュレに限るわ、とのたまわり、不二家ややまざきは、買ってこないでと言われる体たらくである。
 朝起きて見たらサンタのプレゼントが枕元に置かれ、我が家には煙突がないのにサンタさんは何処から来たのだろうと?マークのあの頃が懐かしい。


コメント

1件のフィードバック

  1. 懐かしい、銀座のお店ご存じのようで、良き時代でした、私も長く生きました。紀伊国屋書店のTさんにもよく夜の銀座でお目にかかつた記憶も思出です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


カテゴリー


月別アーカイブ