吉本闇営業、韓国ホワイト国外す、広島原爆忌、猛暑来る、浅間山噴火のニュース繁多の真ん中に割って入ってきたのが、小泉進次郎議員と滝川クリステルの結婚騒動であった。父小泉純一郎に似てなかなかの選択、将来のファースト・レディをみこした見事な配役というべきか。記者会見も官邸を使うなど、芸能プロ顔負けの進行ぶり、メディアのツボを押さえた小泉進次郎だった。
戦後歴代総理大臣の妻、ファースト・レディについて思いを致してみた。
ファーストレディという海外での呼称は戦後しぱらくは皆無だった。つまり二人揃って空港のタラップを昇り降りしてこそのファースト・レディだから戦後何年かはひたすらマッカーサーのもとにあり、ファースト・レディという存在はなかった。
戦後の日本を背負って総司令部と対峙したのは、吉田茂だった。夫人と死別し総理大臣を辞したのち、新橋の名妓小りんを伴って大磯に隠居した。が大磯詣の政治家はひきもきらず、小りんの聡明さと気働きは世に喧伝され、その後のどの総理夫人よりも高い評価をえている。
所得倍増の総理池田勇人の妻満枝こそ、初めてのファースト・レディだった。池田勇人に寄り添ってアメリカ訪問を成し遂げた。一年前から猛勉強した英会話を、ついにひと言も話すことなく帰国したのが残念だった、と後に告白している。
鳩山由紀夫の幸夫人あたりからファーストレディも大分軽くなった。仲間でトリオを組んで下手な唄を唄って喜んでいた。総理は宇宙人、女房は芸能人といった類なきカップルだった。
最近の傑作は安倍晋三首相の昭恵夫人だ。森永キャラメルの娘で、電通に務めていたという経歴が見事に生きて、神田の裏露地で居酒屋をやったり、大麻解禁に賛成したり、はては森友学園の名誉校長をひきうけたり、安倍首相の足を引っ張り続けている。ファースト・レディの重みがいまだにわかっていない。コシノ・ジュンコをつれて海外にいくなど、あの下品なファッションはファースト・レティにもっともふさわしくない衣裳だということすら理解できていない。
安倍さんは総理の座にいる限り、アッキーの我がままに悩まされるだろう。
さて話題のクリスタルだが、「お・も・て・な・し」はイギリス人のオリンピック・コォーディネーターが考えた言葉で、振付通りに演じたのが、クリステルならぬクリスタルということを忘れてはならない。過度の期待はせず、無事に生まれるであろう男の子をしっかりと育てることだ。
昭恵夫人のごとく旦那の足を引っ張るファースト・レディにならないことを祈っている。
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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