キビ団子と桃太郎ジィーンズ

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 岡山に行くと駅前に桃太郎の銅像が建っている。ユルキャラも桃太郎のもじりだ。だから岡山県人は日の丸の鉢巻が大好きだし、陣羽織も、小さな幟も好きだ。町中に桃太郎か居る、名物は黍だんごだから、四六時中桃太郎と暮らしているようなものだ。
 日本昔話の第一位にある桃太郎にまつわる話は日本中に存在する。長野県人は日本ライン木曽川にある桃太郎を信んじている。
 が吉備の国と言われ、吉備津神社があり、鬼ノ城まである岡山では、当然のごとく桃太郎伝説はわが故郷こそ元祖本物と信じている。それ故、デニム生産世界一の児島のジィーンズ・ストリートには、桃太郎ジィーンズなるメーカーもあるし、鷲羽山の撮影ポイントには桃太郎の顔だし看板が人気第一なのだ。
 そもそも桃の実というのは、回春の薬といわれていた。ドンブリコと流れてきた大きな桃を切ると、中から
桃太郎が生まれたいうのは、利に叶った話、そこにある飛躍はじつにリアリティに飛んだ大人の話らしい。
 明治27年、巖谷小波による日本昔ばなし集成により、今日の桃太郎伝説に変わったといわれている。
 変わったといえば、黍団子も元はキビを使った団子だったのが、何時の頃からか求肥による餅菓子になった。池田藩家老伊木三猿斎による茶菓子の工夫がキビづくりだったのが、24個入り1800円とか、30個入り2500円の土産菓子になるに及んで、体験菓子作りに楽な求肥をまるめたキビ団子と変わってしまった。キビの産地岡山もキビなし県に変わったのか。
 モノよりは、日本人のDNAに繰り込まれた桃太郎伝説のほうが、効用無限なのかもしれない。芥川龍之介、尾崎紅葉、菊池寛等に取り上げられてきた桃太郎伝説は、いまハードアクションのゲームとなつて若者に知られている。
キビ団子と桃太郎ジィーンズ


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プロフィール

星野 和彦

Kazuhiko Hoshino

1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表

作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞


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