街になんとはなしにバブリーな風が吹き始めた。
ついこの間まで、タイツやレギンスでぴちぴちの肉体線を誇っていた女たちが変わってきた。ダブダブ、ゆるゆるのラインになってきたのだ。ファションに敏感と自称する女ほど、ユルユル・パンツをはいている。
揺れる31才の綾瀬はるかの今も、うっかりあるくと裾をひっかけ吉良邸で受けそうなハカマ・パンツをはいていた。
パンツ・ファッションはここぞとばかりデニムもウールもポリもみんなだぶだぶなのだ。
この冬のトレンドはフルレングスのユルユルの上に毛皮のブルゾンなど羽織ることと見つけたり。スキニーな細身パンツは、ユニクロやらZARAあたりにいかないと手にはいらないかもしれない。
ついこの間まで、これがトレンドよとウインドウを飾っていたファッションを、たちまちシーズン遅れ、古着と化かして次を売り込むファション産業は、電通の上を行くブラック企業かもしれない。生地はしっかりしてるし、破れてもいない洋服に、流行遅れのレッテルを貼って次々と破棄させるビジネス・モデルがいつまで持つのだろう。中小のファッション企業は、いま視界不良に陥っていると言われる。消費者が買わなくなっている。
デパートにも行かず、専門店にも足を運ばないユーザーが圧倒的に増えている。彼等彼女等はネットでゆっくりと選び、店頭での衝動買いから引き上げているのだ。
素材感が女つぽいトロミのコーデは、いかにもアッシー君むけのお色気がこぼれて居る。膝下ミモレ丈のゆったりスカートは、大きくスリットを入れ誘っている危うさがデザインポイント。知的なプリーツスカートも、金や銀で、真面目さだけではダメ、夜のお遊びだつてプリーツよ、とすべてがバブリーぽくなってきたのだ。
キチキチからダブダブへ
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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