カンヌからパリへ戻ってきたフランス人の友人が嘆いていた。
日本には黒沢や小津といったビックネームがあるのに、あのテイタラクはなんだ。ジャパンデーには、日本映画の文化がまったくなかった、と怒っていた。
フランス人から言われてしまっては少々悲しい。よく聞いてみると、日本政府の肝いりでジャパンデイの最後に「カンパイナイト」なるパーティが設営された。
訪れてみると、まず女の子の奇妙なロボットがお出迎え、これは場違いなところへ来たなとすこしたじろいだが、大好きな寿司とそばに誘われて入った。 立派なフォーマルの紳士たちもいたが、パーティの主役はたちまちにして縫いぐるみの動物に奪われた。日本では大人気の「クマモン」とかいう人形だ。
馬鹿は何処の国にもいるが、たちまち会場は遊園地の記念写真会場と化し、そのクマモンを考えたというコヤマ・クンドウとかいうプロデューサーにも紹介された。
まったく映画という文化を知らないあきれたカンパイナイトだった。
このパーティにお金を出した日本政府の代表としてカシワハラ・キョウコとかいう女性がきていたが、その女性の肩書きと言って見せられたのには「通商産業省商務情報政策局文化情報関連産業課長」だった。
映画知らずの恥を企画し、心あるフランス人をがつかりさせたオバカな役人がそこにいた。
カンヌ映画祭のクマモンに呆れた
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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