「カワイイ」という形容詞が、こんなに長く人々に受け入れられるとは想像だにしなかった。
世界中でKAWAIIが通用し、日本文化を語る国際語に育ってしまった。先進国でKAWAIIに遭遇すると、気恥ずかしくなる。大人になりきれない日本人の幼児思考が、KAWAIIにつまっている。 どう考えても、それは可愛い少女偏愛症という病気であり、ロリータ・コンプレックスなのだ。
文京の弥生美術館で、今にほんのKAWAII展が開かれている。
そこでは「カワイイ」の創始者を竹久夢二としているが、これにはいささか異議がある。夢二には大人の女にしか持ちえなかった憂愁があったし、何時もやわらかな感傷に包まれていた。そこにある空気はレトロなもので、カワイイの反対に位置する。
それをいうなら蕗谷虹児にとどめをさす。シャープで洗練された線で描かれた虹児の絵は都会の香りに充ち、まさにロリータ顔そのものだった。吉屋信子と組んだ「海の極みまで」、少女画報、令女界、少女倶楽部などの表紙や挿絵、みな丸顔のカワイさだつた。
それを完成させたのが、中原淳一。淳一はファション、作詞、エディター、そして画家としてファンタジックな魅力あるタブローを完成した。いつも目線の合っていない神秘的な瞳が、同時代に生きる少女の心をつかんで離さなかった。吉屋信子の「花物語」、川端康成の「乙女の港」とその土俵は蕗谷虹児に通じていたが、きものノ本、ソレイユ、ジュニアそれいゆとエネルギツシュに自前で創刊を重ねた。
カワイイの源流
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プロフィール
星野 和彦
Kazuhiko Hoshino
1931年 9月17日 東京に生れる。
1954年 成蹊大学政治経済学部・芸術社会学コース 卒業。
1955年 旧帝国劇場文芸部 所属。
1958年 テレビ朝日(旧NETテレビ)制作局演出部 入社。
1960年 フランス・パリ・ムーランルージュより演出として招聘される。1年間滞仏。
1961年 テレビ朝日復職。
1968年 テレビ朝日制作局チーフ・ディレクター、企画室ブロデューサー を最後に退社。
星野演出事務所 設立。代表取締役 就任。
1973年 クリスチャン・ディオール取締役 就任。
1975年 SKD松竹歌劇団 演出就任。
1977年 東京フィルム・コーポレーション 取締役。
1980年 リード・ファッション・ハウス 代表取締役 就任。
1990年 軽井沢に居を移し現在までフリーの 演出家、プロデューサーとして、また執筆活動に従事する。
現在
日本映像学会 民族芸術学会 所属
テレビ朝日 社友
星野演出事務所代表
作品受賞歴
1953年 芥川竜之介作「仙人」第二回世界国際演劇月 文部大臣賞
1967年 連作みちのくがたり「津軽山唄やまがなし」芸術祭奨励賞
1970年 連作みちのくがたり「鹿吠えは谷にこだまする」芸術祭優秀賞
1971年 ミュージカル「白い川」芸術祭文部大臣賞
1992年 NDK日本ファッション文化賞
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